切り捨てることで足るを知る
一家離散して
子供と縁を切り
犬と共に静かに過ごすことにした。
無責任と、思われても構わない。
捨てられるなら
捨てる。
要済みなのだから
こちらも要らない。
非情って?
こっちのセリフです。
半年で娘が卒業するまで
なんとか、生きなきゃいけないと
思っていたが
今の私は、
1ミリも思わない。
残り僅かな人生は
一人で静かに過ごしたい。
這いつくばって
子供の為に、頑張った。
周りに言われて気づいた。
子供達のストレスが
大き過ぎたんじゃない?
麻痺し過ぎていて
理解に乏しかったが
現状、その通りだと
腑に落ちた。
手遅れ状態だが
バッサリ切ることに
躊躇は、ない。
やり切ったからだ。
後悔を残したくないからこそ
縁を切る。
躾をしてこなかった
私にも非はある。
だから
躾として縁を切る。
不思議と
抵抗感や罪悪感は
感じない。
自分で決めたことが
正解。
期待外れだっただけ。
だから、期待しないし
期待に応える必要もない。
本当の苦労を知らないなら
教えるのも、親の勤め。
それが、最後に出来る
親としての役割。
泣いて縋ってきても
容赦なく
突き離す。
感謝出来なかったり
被害者ぶったり
搾取する他力本願…
我が子には
目を覚まして欲しい。
その為に
非情になることも
愛だと思う。
苦しくとも
這い上がって
生きて下さい。
与えるばかりが
愛ではありません。
失ってから
人は気づく。
痛みを感じるが
また忘れる。
気づいた頃には
もう遅い。
切り捨てることで
足るを知る。
そう、願っています。
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