我慢の意味
「我慢」とは、もともと「我が強く、こらえることができない」ということで、現在の意味とは正反対になっているわけだ。
仏教では我慢の意味が違っていて
我慢の先には闇しかない。
心理学では
我慢は行為者だから
我慢は行為そのものを指す。
期待、結果等
ある意味我慢の後のご褒美があるから
頑張ってるんだろう。
がだが、我慢は堪えられないと
解釈するのが妥当だ。
トイレを我慢した時の
あの開放感に例えると
トイレの我慢は辛抱だと思ってる。
我慢と辛抱を履き違えて
我慢と認識されているのだと思う。
煩悩の中に我慢が紛れているとも言える。
辞典で調べた我慢とは違うかも知れない。
あくまでも仏教の教えや
心理学の観点からの話しです。
我慢は美学でもなんでもないって事。
そうすることを植え付けられてるから
中々抜けないかも知れないが
我慢が悪いとかではなく
少し解釈を変えると
我慢の反復は
何かに我慢して
その見返りを求めている。
だか、見返りは返らない。
~おごり高ぶる心~
「我慢」という言葉は、元来の仏教用語では「自分が自分が」という利己的な心を指していたから。
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